地獄の果てでもDTM

優しくなれよ。俺もなるから。

俺について

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聴くストロングゼロを目指して (@DTM_Ohta) | Twitter

Youtube:

www.youtube.com

 

ホームページ(無料フリーBGMを配信してます):

www.nahito-ohta.com

 

 

 

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うす。

太田です。

DTMやってます。ノーパソでポチポチとインスト曲を作っております。

ありがたいことに、俺が配信している自作曲が結構ダウンロードされており、主に動画で使ってもらえています。大変感謝しております。

ありがとうございます。

 

はーあ。

疲れた。

 

まあ正直いってホームページもYoutubeもUU、PV共にザコ同然の現在において、俺の心境だとか作曲の指南だとかをブログにしても説得力がないので、それらについて当ブログ内で皆様に伝えることはあまりないです。

ぶっちゃけ、俺の作るフリーBGMの構成はループです。分かりやすく歌謡曲でいうならば、Aメロとサビの繰り返しがほとんどです。

「大人のゆーことなんてー聞きたくないんだー↑」

「大空をはばたいてゆこー↑」

みてーな歌詞を繰り返しているようなもんです。

なぜこのような構成にしているのかというと、使い手(主に動画制作者)にとってのBGMとは

"動画の主題・主張を補佐するもの"

と位置されているからです。少なくとも俺はそう考えています。

動画にとって音楽は、主張してはいけないキャラなのです。

俺が音楽で主張しようものなら「え?え??君、なんで今チョーシ乗ったの?ん?なんでなんで?ねえ、なんでなん??」と、俺が涙目になって教室から速足で撤退するまで製作者から責められるでしょうな。

小生、臆病者でございますので即退散でありんすwwwデュフフwww(真顔)

そのような曲しか作れない、それが自分の作曲能力の限界な気がします。テクノ系ばっか聞いてるってのもありますが。

劇伴の作れる方を尊敬します。マジで。

あーネガティブモード入っちゃう。

 

とりあえず当ブログの先頭に位置するこの記事では、俺自身についてのアレコレと、俺の好きな音楽と作る音楽についてを綴ります。

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〇作っている音楽

俺の作る音楽は以下の2種類に分けられます。

①フリーBGM

②俺の作りたい曲

どちらもインスト(歌詞なし)曲ですが、趣と対象者は異なります。

それぞれの違いを説明します。

①フリーBGM

ホームページで配信しているのがこれです。Youtubeで公開している動画も9割これです。

主に動画制作をしている方に向けて、動画内で使用できるような楽曲を作り、無料で配信しています。

あくまでも利用者へ提供するBGMとしての役割と考えているので、俺自身のアーティスト性・表現としての要素は大きく削ぎ落として作っています。難解な展開やコード進行などは使っていません。

 一応、利用時にクレジット表記をお願いしてはいますが、俺の名前で検索かえても、ダウンロード数と検索結果の動画の数が明らかに合わないため、ノンクレジットで使用している人が大半かと思われます。

②俺の作りたい曲

これは完全に俺の表現したい音のみを使い、展開やコードなどにも自分の嗜好をつぎ込んで作っています。

俺自身が聞いて「美しいな」とか「このハイハットは斬新やな」とか思えるような曲です。

ジャンルとしてはアンビエントテクノとしています。

イメージとしては「うるさく無いテクノ」といいますか・・・。なんつったら良いのか分からん。

YoutubeSoundCloudで配信していますが、そのうちアルバムとかにしてSpotifyで配信できたらいいなあとか思ってます。

 

〇自己紹介

0歳(93年):生まれた

小学校(7歳~12歳):

7つ上の姉はミーハーでした。俺は姉の部屋から聞こえてくる流行曲を、ドアを2枚隔てた洗面所でよく聞いてました。

俺の音楽好きを嗅ぎ取ったのか、11歳のころに母がMDウォークマンをくれました。それを友達の家で友達の目の前でノリノリで聞いていたら、A君が片手を耳につけてウネウネ動きながら「ヒュー俺ってノリノリ~♪」と言い出しました。俺はアホだったのでそれが皮肉だと分かりませんでした。突然ウネウネしだして何いってんのこいつと思いました。

やべーなあ顔が熱くなってきたわ。

 小6のときにA君と一緒に帰ろうかと思って6組の教室の前で帰りの会が終わるのを待っていた。しかし帰りの会が終わり教室を出てきたA君は俺をしり目に「え?Bくんもう帰ったの!?C君、いっしょに追いかけよう!」と言って先に走って帰っていった。この出来事を機に、あーそうか、俺はA君からは友達認定されてねーんだ、と思い、保育園のころからの付き合いだったA君とは疎遠になりましたとさ。

 

中学校:

小学生のころは外で遊びまわるワンパク小僧でしたが、中学では影の薄い、おとなしーい子だったと思います。

勉強が出来ず、成績はかなり悪かった。見かねた母は俺を塾に入れた。

塾では同じ学校のやつが誰もいなかったため、アホ回答キャラを使って少しだけ目立つ存在になれた。しかし2年の頃に同じ中学のH君が入った。つーか俺が誘った。そいつは小学校からの連れで仲良くしてくれたもんだから、一緒にいて楽しいという理由で塾に誘ったのだ。で、それまで塾の教室の中でおちゃらけていた俺は「やべー同じ学校のやついんじゃん・・・」となった。当然である。俺が誘ったのだから、H君がそこにいるのは当然である。なのに、誘ったくせにビビっていた。

うーん頭おかしいな。

この多感な時期に、俺の人格はほぼ形成された。

俺を含めて、多くの人にとって中学の教室の中ってのは「居場所の探り合い」と「社交的コミュニケーション能力の形成」を行う場所だったといえる。自然と形成されていくカーストとコミュニティは、まるで細胞組織のように毎日分裂と融合を繰り返し、精神衛生上安全と呼べる場所を各々探していた。

俺はこういう駆け引きめいた空気が死ぬほど嫌いだった。思えば、嘘がつけなければ社会に適応することは出来ないという、いずれ訪れる現実を、このとき、なんとなく悟っていた気がします。

 

中3のときに音楽を始めた。

H君とその他同級生でバンドを組んだ。俺はベースだった。しかし組んだだけでなんか満足して、何もせずに分解した。

 

高校:

偏差値の低い高校に入学。

バンドは分解したが、H君はギターをやめず、俺もベースは続けていた。しかしバンドと呼べる形態は、結局卒業まで作れなかった。

高一のときの俺はイケイケキャラになりたくて必死だった。中学のときの大人しい感じの自分がもう嫌で嫌でたまらなかったからだ。で、必死になりすぎた結果いじられキャラとして定着してしまった。

高2で初の彼女ができた。しかし2か月で振られた。パソコンばっかやってた俺はデートに誘うこともあまりなく、彼女とは同じ教室だったのだが、なんか皆の前で話しかけて良いのかどうかよくわからなくて、彼女の前で緊張して

「ア・・・アー、ダリィナア、ハハ、、ガッコウダリィナア・・・ww」とか言ってた。

最後まで、距離は一切縮まらないままだった。

いやー臆病やねえこの頃から。

で、2年の夏ごろから俺はまた大人しくなった。イケイケぶって過ごすことが辛くなってきて、素に戻ったのだ。

そのまま3年を過ごした。

俺は大学に合格した。

ある日、リビングから「ごはんできたよー」といういつもの母の声でリビングへ行くと、父がどこかへ電話しており、母が神妙な面持ちで俺に近づいてきた。心配そうな顔で俺の名前を静かに呟く母。

父が俺の合格の取り消しの電話を入れた。

俺は大学へ行かず、そのまま働きに出ることとなった。

正直、このことは今でも悔やまれる。

俺は父が怖いし、父の前では自分の意見も言えないカカシみてーに突っ立ってることしか出来ない自分が死ぬほど嫌いである。

どうして俺はこんな根性無しなんだろう。分からん。

 

19歳以降:

近所の食品工場でバイトを始めた。

働きながらパソコンを買って、以前から興味のあった作曲を始めようと思い立ち、CubaseというDAW(作曲ソフトの総称)を買うも、初期画面を見てびびってやめた。

DTMを知らない人のためにちょいと説明しますと、DAWの操作画面ってのは主に3種類ありまして、

DAWそのもののUI

・各楽器の操作画面

MIDIの入力画面

が挙げられます。

DAWを購入して立ち上げると、まずその初期画面が表示されますが、それはそれは初見の人間にとって非常に難解な画面となっています。

これです。

 

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SF映画の司令塔にあるメインコンピューターの前に立たされて「さあ!司令官!ロケット打ち上げの準備を!」とか言われてる気分になります。

いや、どれ触れば良いんすか?wってなるから。

放置してからも、なんとなーく「作曲してみてーなー」と思っていたが、あの初期画面を思い出すだけで面倒になって、そのままやらずにズルズルと日々を過ごした。

23歳のときに、俺は横田進というアーティストをYoutubeで知り、彼の曲を聴きた。彼のジャンルはテクノだ。

ロックばかり聞いていた俺にとって、その世界はとても強烈であった。

音楽の懐の深さを知った。

ようやくDAWの使い方を調べ始めて作曲を始める。

26ぐらいまでは完全に自分のため、自分の好きな曲しか作らなかった。アーティスト志向の曲は、全く再生されませんでした。

このとき思い知ったことは「人のために表現しない限りは、音楽は好かれない」ということでした。

自分の好きなようにやるというのは、聞こえはいいが、音楽においては致命的なほど才能の差が見える要因として働きます。

音楽とは目に見えないものです。バンドや歌手は、音楽性が優れているという点も評価されてますが、それ以上に視覚的な満足感をオーディエンスに提供しています。聴衆は目に見えるシンボルを欲しているものなので、そういう欲求を満たさない"音だけの表現"は、おそらく前衛的なもの・個人的なものとして捉えられます。

 

27歳になった年、俺は商業利用可能なフリーBGMの制作に集中しました。

それまで5再生とかが当然だったのですが、フリーの方はどんどん再生されます。といってもほとんどが1,000再生にも達してませんが。

 

今年(2021)、28になりました。

フリーBGMに加えて、本来自分が表現したい音を探求・表現することも再開しました。

28年間で蓄積された、捻くれていて複雑な性格を、うまい具合に美しくテクノに落とし込めるか。そんな実験を繰り返しつつ、同時にフリーBGMを生産しまくっています。

 

ここまで読んでくださってありがとうございます。

文章からしてなんとなく分かるかと思いますが、俺は社会的に見てさほどまともな人間ではございません。

根グラです笑

社交辞令が苦手すぎてやばいです。

とりあえず俺が今できる社会貢献は、納税と、アホみたいにBGMを量産することだけです。

そのアホみたいなことにだけは集中できるのです。

やるだけです。

 

もしよろしければ楽曲のご視聴、チャンネル登録などしていただければ幸いです。

 

あざっした。

 

〇好きな音楽

 横田進

Tycho

Bonobo

Max Cooper

Floating Points

Kiasmon

Rei Harakami

Lone